ガンダム

アニメック』の読者投稿コーナーに
掲載、劇場版パンフレットにも転載された、
千葉県流山市ペンネーム
「コーヒーメイカ」さんの投稿。
「「機動戦士ガンダム」―これは
私が生まれて初めて遭遇した、時空間の連続する
独立した世界を持つアニメだ。
他のアニメが、放送日にTVのスイッチを
ひねることによって
浮かび消える世界であるのに対し、
ガンダムは全く別の次元に存在し、
週に一度30分だけ、次元回線が繋がり、
のぞき見ることができる世界、
という印象を与えるのだ。
それは生きたキャラクター、ハードな設定、
緻密な表現等に負う所が大きいだろう。
だが、それだけならそれらを備えたアニメがなかった
わけではない。ガンダムを決定づける
+アルファ、それは「成長」もしくは「変化」だと
言えるだろう。
ここでは主人公のみならず、全てのキャラクターが成長し、
変化していく。そして人類が、世界そのものが。
正直言って人間は醜い、くだらない、どうしょうもない
生き物だ。
だが、ガンダムでは人類は変化していけると言っている。
それならば、生きて、希望を捨てない限り、
いつかきっとどこかの時点で、真の理想郷を実現することが
出来るかもしれない。きっと出来る。
だから自分に、人間に、世界に、今
絶望してあきらめるのではなく、
明日を見つめて生きるのだ、と言外に含めながら。
この作品は、人類そのものの歴史が胎動していく、
その最も大きなうねりの中で、時を同じくして
成長していく人々の、そんな思いを込めた物語なのだ。
『ザンボット3』では、人間のどうしょうもない部分を
直視しながら、尚も希望を託さずにはいられなかった
(最終話、ラストシーンのなんと素晴らしかったことか)。
『ダイターン3』では、人間の存在そのものを支持し、
讃えずにはいられなかった富野監督の、
この作品『機動戦士ガンダム』は人類の可能性への切なる願い、
そして希望。かつてこのように蠢いて行くものとして
世界を創出したアニメがあっただろうか?
このガンダムに込められた願いを知ることなしには、
どんな賛美も批判も意味を失うと思う。
ともあれ『機動戦士ガンダム』は終わった。
私達は彼らのその後を詮索してはならない。
彼らの未来への問いかけと解答は、私達の中にこそ、
用意されなければならないのだから。」
  以下、小牧氏の本文に戻る。
「THE SHINJUKU DECLARATION 2.22 アニメ新世紀宣言
私たちは、私たちの時代のアニメをはじめて手にする。
機動戦士ガンダム」は、受け手と送り手を超えてうみだされた
ニュータイプ・アニメである。
この作品は、人とメカニズムの融合する未来世界を皮膚感覚で訴えかける。
しかし、戦いという不条理の闇の中で、キャラクター達は、
ただ悩み苦しみあいながら呼吸しているだけである。
そこでは、愛や真実ははるか遠くに見えない。
それでも、彼らはやがて仄かなニュータイプへの光明に
辿りつくが、現実の私たちにはその気配すらない。
なぜなら、アムロニュータイプアムロだけのものだから。
これは、生きるという問いかけのドラマだ。
もし、私たちがこの問いを受けとめようとするなら、
深い期待と決意を持って、自ら自己の精神世界(ニュータイプ)を
求める他はないだろう。
今、未来に向けて誓いあおう。
私たちは、アニメによって拓かれる私たちの時代と
アニメ新世紀の幕あけをここに宣言する。
アニメ新世紀0001年2月22日
              アニメ新世紀宣言大会実行委員会」
《1981.2.22 アニメ新世紀宣言》に参加した若者たちは、
そろそろ50歳に到達する。当然それよりも年上の層もいるが、
このガンダムファン達は死ぬまでガンダムファンであるのは
間違いないだろう。
その下は小学生に至るまで途切れることのないガンダムファンが
継続しているのである。
これを30年前に想像できた人は、誰ひとりいなかっただろう。
放映当時、『機動戦士ガンダム』は、10年は継続するコンテンツです。
視聴率が低いくらい何でもありません」という話を
各方面にして歩いたのだが、
「そう言って取り上げてくれるのは嬉しいけどさ10年は
大げさですよ」と制作会社のサンライズも、放映局の名古屋テレビ
話半分でしか聞いてくれなかった。
それほど、ガンダムを押していた私ですら、今も継続するガンダム
ブームは信じられない。
つまり、これはブームではなく、
日本を代表するメディア文化なのではないだろうか。
機動戦士ガンダム」をファーストガンダムとして
崇める人は少なくない。
だか(←本文のまま)、それはブームの延長だ。
単なる《ガンダム》、これは日本を代表する文化論なのである。
中略
1979年に『機動戦士ガンダム』を本放送で見た青年は
少ない。
でも、少ないと言っても、軽く10万人はいたはずだ。
視聴率からするともっと多いはずだが、土曜日の放課後にダッシュ
家に帰る積極的な人数は、やはり多くなかったはずである。
土曜日に学校?そうガンダム世代はゆとり世代ではないのだ。
世の中の森羅万象全てに興味を持つ世代だったと言えるだろう。
1979年当時15歳の高校生ならば現在45歳。
幅を取れば、放映当時の小学校高学年から大学生までが
機動戦士ガンダム』における最初の世代といえるだろう。
年齢の高い側の私の体験からすれば、
「生き残るためには、必死で動くしかなく、それだけの
働きをしたのに認めて貰えない閉塞感」はガンダムのドラマ性と
シンクロしていた。いわゆるWB(ホワイト・ベース)状態の中で、
限りなく、アムロの心境に近かったのだろう。
驚いたことに、その当時に編集部に来るような、
ちょっと積極的な高校生は、大同小異で似たような発言を
していた。「自分がどれだけ努力しても、周囲に認めて
もらえない」「正当な評価を受けることがない」という不満を
持つ若者が多かったのは事実である。
それでも、「ガンダムを持って家出をするのは我が儘ですよね」
という理性的な発言が多く、救われた。
つまりは、それに匹敵する妄想は持つが、
暴走をとどめるだけの理性を持った青少年だったということである。」